「スター誕生!」は、一般人がプロの歌手になるための夢のオーディション番組でした。
放送期間は昭和46年(1971年)から昭和58年(1983年)まで。
12年にもわたって数多くのスターの原点となりました。
まず予選を勝ち抜くとテレビ予選に出場。
そこで合格すると決勝大会に進出。
決勝大会の会場には芸能プロダクションやレコード会社のスカウトマンがズラリと並び、スカウトしたい応募者が現れると会社名のプラカードを掲げて交渉がスタート。
そして晴れてプロダクション所属・デビューへという流れでした。
応募者数は毎回すごくっ多かったと聞きます。まさに“登竜門”。
歌手をめざす人にとっては最大のチャンスだったと思います。
スター誕生でスカウトされた有名人たち
当時「スター誕生」からデビューを果たした歌手たちは数知れず。
ここでは、代表的な人物とそのデビュー曲を一部抜粋して紹介します。
- 森昌子「せんせい」
- 桜田淳子「天使も夢みる」
- 山口百恵「としごろ」
- 岩崎宏美「二重唱(デュエット)」
- 新沼謙治「おもいで岬」
- ピンク・レディー「ペッパー警部」
- 石野真子「狼なんか怖くない」
- 小泉今日子「私の16才」
- 中森明菜「スローモーション」
など、スター誕生出身の多くの歌手が昭和の芸能史を彩りました。
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スカウトされなかった有名人も多数
実は、予選で落選・書類で落ちた中にも、後に芸能界で活躍した人がたくさんいます。
- 本田美奈子
- 徳永英明
- 大江千里
- 河合奈保子
- 柳葉敏郎
- 古手川祐子
- 野沢直子
- ASKA
このリストを見ても、芸能界の道は一筋縄ではいかないと感じます。
>>>スター誕生でスカウトされなかったた有名人たち一覧はこちら
芸能界はきびしい世界
審査員のコメントはかなり辛辣で、厳しい世界だと子どもながらに感じました。スカウトされてもすぐ売れるわけではなく、その後の努力と運が必要。デビュー後に長く活躍できるかどうかはまた別の話です。
審査員として出演していたのは、
- 阿久悠先生
- 都倉俊一先生
- 中村泰士先生
- 森田公一先生
- 三木たかし先生 など。
特に私的には阿久悠&都倉俊一がこわかった。
「欽ちゃんと遊ぼう」コーナーも人気
欽ちゃん(萩本欽一)が司会だったときですが、審査結果が出るまでの間に「欽ちゃんと遊ぼう」コーナーってあったの覚えていますか?
素人参加型のゲーム企画で、チャンピオンになった“クロベエ”こと黒部幸英さんと“タカマツ”こと西山浩二さんの二人が人気でした。
当時クロベエは中学2年生、西山浩司は中学1年生だったそうです。
西山浩司がタカマツと言われてたのは出身地の香川県高松市というところからきてるみたいだった。
欽ドン!良い子悪い子普通の子に出てたヨシオ・ワルオ・フツオのイモ欽トリオのワルオで一躍時の人になった感があるけど、芸能人じゃなく一般人のおもしろくてかっこいいタカマツくんは、小学生に人気でした
あとがき
「スター誕生!」は、未来のスターに憧れて多くの若者が挑戦したオーディション番組でした。
視聴者も、“スターが生まれる瞬間”を見届けるのを毎週楽しみにしていたものです。
決勝大会では、テレビの前で「プラカードが上がるかな…」と、自分のことのようにハラハラドキドキ。
その熱気もあって、番組の最高視聴率はなんと28.1%。昭和を代表する大人気番組でした。
今のオーディションってファン投票という要素もあるから、自分で発信して人気を得るというものが多いです。
「スター誕生!」のように、プロの審査員やスカウトマンが一方的に才能を見つけてデビューさせるスタイルは昭和ならではなのかもしれない